「ハイル、タノ(田野バンザイ)」と叫びナチス式敬礼をする、白シャツをジーンズにタックインした学生集団。
模擬ファシズム体験授業を通してファシズムが起きる原因とその危険性を示しているのが本書の内容です。
筆者は学生たちに次の体験学習をさせます。
ファシズムを研究してきた筆者(野田氏)を指導者と見立てる。
生徒たちはナチス式敬礼をして「ハイル、タノ」と叫ぶ。
先生からの質問に答えるとき生徒は、起立して敬礼してから発言する。
全員が同じ制服を着て、テラスにいるカップルに向かって「リア充爆発しろ」と糾弾する。
体験学習のレポートを提出
これよって、ファシズムが持つ本質を理解し、誰もがその快感に酔いしれる可能性を自覚させます。
タイトルに興味を惹かれ、新聞の書評紹介でもあったため購入しました。
非常に読みやすい内容で、最近のポピュリズムや日本社会の不寛容さの危険性を指摘してます。
個人的には、コロナ感染者への糾弾やネットでの誹謗中傷の本質を指摘している点で、とても興味深く読みました。
オススメ度 9/10
ファシズムの本質
冒頭において筆者が指摘するファシズムの本質は、次の通り。
集団行動がもたらす独特の快感、参加者がそこに見出す「魅力」に求められる
全員が同じ行動を取ることによって、人間は自然と感情が高まって、集団への帰属度が高まる一方、外部への敵意も高まります。
この辺の集団行動への陶酔は、かなり腑に落ちる部分があり、スポーツ観戦などまさにこれですね。
ドイツ人はヒトラーに従った家畜なのか
最初にヒトラー時代のファシズムを分析しています。
ここのポイントは、
ナチズムは大衆運動であって、この運動に加わった人たちは多かれ少なかれ積極的にヒトラーを支持していた。
近年の研究では、「合意独裁」という見方も示されている。
その支配が広範な国民からの積極的な支持によって支えられていたことは見逃せない。
また、ヒトラーに従っていたものの中には、服従によってある種、逆説的に自由が与えられているのです。
権力を後ろ盾に、自分は何をしても責任に問われないという「解放感」が過激な暴力への誘引になりました。
独裁に欠かせない条件
独裁への条件は、2つあります。
- 指導者の存在
- それを支える共同体の力(規律、団結)
ファシズム体験教室
なぜ体験学習が必要になるのか
筆者は、「普段の生活の中で自覚なく受容しているものの危険性を認識するには、教育の意図的な介入が必要」だと主張しています。
差別問題や性教育における「寝た子を起こすな」論の限界を乗り越えるものとして、体験学習を置いています。
体験の成果
受講生は3つの変化がありました。
- 集団の力の実感
- 責任感の麻痺
- 規範の変化
集団行動を取ることで気持ちが高ぶり、他人に危害を及ぼすことへの障壁が低くなることが実感されました。
集団行為+権威=責任感の麻痺、正義の暴走
ファシズムと現代
この実験の意義として、世界にはびこるポピュリズム、日本でのヘイトやネット右翼の問題点を指摘しています。
部分的にしか理解できませんでしたが、筆者が主張する次の意見はそのとおりだと思ったところ。
「日本のため」という大義名分のもと、数の力で反対派や少数派を圧倒するという行動は、存分に自分の欲求を満たしながら、堂々と正義の執行者を演じることを可能にする。
その何物にも代えがたい快感こそ、彼らを惹き付けるヘイトの「魅力」があると言ってよい。
まとめ:集団行為が生む自由な快感
ファシズムを疑似体験することによってのみ、ファシズムの快感をきちんと認識でき、その危険性が腹落ちする。
これが本書の新しい点で、興味深く読むことができました。
スポーツ観戦などの心地よさなど、ある意味ファシズムの魅力の切れ端を味わっているんだろうなとこの本を読んで気付かされました。
また、制服が持つ没個人化と仲間意識の効果を再認識しました。
集団になることで人々は責任感が麻痺し、権威を盾にした自由を感じられます。
自分は気持ち良く正義を振りまき、自分の考えとは違う異端者を排除しようとする。
最近のコロナ感染者への中傷などまさにこれのことでしょう。
こういう行為をすることないように、集団行為の過激化の危険性をしっかりと認識して対処することが求められます。
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